1月1〜2日(火曜日〜水曜日)晴れ

 元旦の朝は毎年同じコースをウォーキングする。母校の開進第四中学校から江古田駅へ、そして西武池袋線沿いを歩いて桜台駅へ。そこのマクドナルドで珈琲を飲んでから氷川台駅経由で帰ってくる。いつも思うのだが、桜台駅北口はまるで廃墟のような商店がいくつか見られる。建て替えて新しいお店が営業したらいいと思うのだが、いろいろ難しい問題でもあるのだろうか。中高生の頃にはよくお世話になった駅なので、どうせなら華やかに生まれ変わって欲しいという気持ちもある。昔のまま残るにしては、さすがに時代が経ちすぎて建物の老朽化が激しく無理がある。写真は江古田と桜台の間の陸橋からのショット。西武線は黄色というイメージがあるんだが、今は青なの?」
 2日にはウォーキングついでに近所のスーパーへ行って買物。少し離れたライバル店は3日から営業開始なので、その分お客さんはこちらのスーパーに集中したようで、かなりの混みよう。これは開店時の抽選会効果もあったようだ。3日にはライバル店の方に行ってみよう。

1月3日(木曜日)晴れ

 3日に新春の営業を開始するスーパーへウォーキングの途中に立ち寄ってみる。ポイント10倍という店内のアナウンスが響く中、意気揚々と買物を始めてすぐに衝撃的な事に気がついた。財布は忘れずに持ってきた。しかし中身を補充していない! 入っているのは小銭で600円ほど。これじゃほとんど何も買えない。やむなくクレジットカードを使ったのだが、そうするとポイントはつかない。残念!・・・って何を生活感にじみ出る日記書いてるんだか。

1月4日(金曜日)晴れ

 4日はちゃんと財布の中身を補充してウォーキング! 運動もお買物も順調。それにしても子供の頃はお年玉が貰えるということで、お正月はもちろん大好きだったのだが、大人になってからはどうもブルーな気分になりやすい危険な時期であると認識している。おそらくテレビでいつも見ている帯番組が特番の影響でお休みになったり、その特番では芸人さんが馬鹿騒ぎをしているのを見ると、「自分はそれほど楽しくないんだけどな・・・」と落差を感じるのだろうか。とにかく早く日常に戻って欲しいと思ってしまう。今年は曜日の関係で、完全に日常に戻るのは7日の月曜日だな。あと少しだ。

1月5日(土曜日)晴れ

 我が家で愛用している珈琲用のクリームは特定のスーパーでなければ売っていない。そのミルクを購入する必要があるので、いつもとは違うコースをウォーキング。すると、あ、と驚く貼り紙を発見した。練馬区の生まれた街で子供の頃に本当にお世話になった平田医院が閉院するという。思わず立ちすくむ。僕が風邪をひいたり、食べ過ぎでお腹を壊してはすぐにここへ駆けつけ、お袋の話では家計が苦しかった時にはツケも効いたという。僕が大学受験の時に風邪をひいてしまい、休みの所を無理矢理訪問して診察してもらった。その時の試験が合格して武蔵大学の経済学部に入学できたわけだ。その先生もとうの昔に鬼籍に入り、息子さんが後を継いでいた。僕よりも年上であったことは確かだけど、お医者さんって定年は無い。本当ならまだまだ働けるはず。「都合により」とあるが、いったいどういう経緯だったのか。いろいろと考えてしまうな。

1月7日(月曜日)晴れ

 友人のiPhoneの調子がおかしいということでお茶の水へ行く。神田明神は参拝客でごった返している。iPhoneの症状は機種はXsでFace IDが年末から使えなくなったという。見てみると、Face IDを再登録しようとしても、センサーが正常に動作しないようだ。イン側のカメラで自分の顔を写すことはできるのだが、正しく自分の顔を表示されている枠の中に入れているのに、「iPhoneをもっと下にさげてください」という不可思議なメッセージが表示される。どうやっても顔認識をしてくれない。僕の予想ではこれは新品交換になるだろうと思い、ジーニアスバーの混み具合をネットで見てみると、まったく空きがない。さすが正月明け。みなさんクリスマスシーズンに買った製品の不具合や疑問で予約しまくっているようだ。友人のiPhoneは、とりあえずパスコードを入れれば普通に使えているので、この混み具合が緩和されてからの処置するしかなさそうだ。
 お昼は秋葉原の万世に入ってみるも、いかにもサラリーマンの挨拶帰りみたいな人たちで満員。こんなに混んでいる万世を見たのは久しぶりかも。

1月9日(水曜日)晴れ

 あるサックス奏者から聞いた話し。日本でサックスと言えば渡辺貞夫が第一人者だろう。ただ、ある時、絶対音感を持った人とセッションをした際、ライブが終わってから「なんなんだ、あのサックスのピッチは!」と陰口を言われたらしい。つまり旋律楽器はソロが浮き立つように多少ピッチを高めに演奏するそうなのだが、そのことを言っていたのだという。ソロを高めのピッチで演奏するとソリストは気持ち良いらしい。しかしやり過ぎると周りから冷ややかな視線が来るらしい。これはギターアンサンブルでは体験できないことだ。まったく同じ楽器で、ギターのように撥弦した瞬間が最大音量ですぐに減衰してしまう楽器だと、ピッチは正確になるように弾くのが当たり前だ。では何セントくらい上ずれば気持ちよくて、何セント以上上げると気持ち悪いのか。今度実験してみようかと思う。

1月10日(木曜日)晴れ

 記録的な晴れの日が続いている。もう空気乾燥でお肌カサカサ。通勤途中、信号待ちしていた時に車のフロントグラスから見た青空とまだら状の白い雲。うん、実に芸術的だ。大学に到着して北側のレッスン室に入ると、まだ使用申告時間の前なのに暖房が入ってる。ただそれでも寒いのですぐにはジャケットを脱ぐことはできない。昼休みに南側の教室を使っていた他の先生と会った時に、「今日は寒いですが、暖房の効きはちょっと弱いと思いませんか?」と話していた。同感。でもね、午後に南側の教室に入ってみた所、やっぱり南側は太陽の光の関係で少し有利だよな。

1月11日(金曜日)晴れ

 大学の今期の授業も残り2回となった。さすがに来週が期末テストやレポート提出になっているわけだから、今まで休んでいた学生さんも出席してくる。ポピュラー音楽史も初回と同じくらいの人数が集まっている。授業の内容は洋楽の歴史が終わって、邦楽の歴史をたどっている所。この日は1976年から81年くらいまでの名曲を聴いていった。サザンオールスターズやピンクレディが紹介される。ピンクレディはデビュー曲の「ペッパー警部」と「UFO」。すると授業が終わって学生さんが帰る時に友達同士でしゃべっている話し声が聞こえた。「私サウスポー聴きたかった」。え? 君ら「サウスポー」知ってるの? ごめんね。用意したのは「UFO」のほうだったんだわな。楽曲の出来としては「UFO」のほうが上だからね。それにしても若い子がピンクレディの「サウスポー」が聴きたいという話をすること自体がポピュラー音楽史上としては異常だと思う。どれだけ現代の曲に魅力が無いんだと小一時間問い詰めたくなる。

1月12日(土曜日)晴れ

 こう寒くなってくると、家のみのお供は鍋が最強だ。この日は今まで購入したことのない「叙々苑 キムチチゲ」をチョイス。野菜は定番のネギ、白菜、エノキに加えて人参、焼き豆腐、そして豚バラ。「辛口」と書いてあるのでどのくらいピリカラが心配だったが、「激辛」とは書いてないので常識的なレベルだった。鍋のスープと言えば、ミツカンが最大手のように見える。もちろんミツカンにも「キムチ鍋スープ」はある。普段は宮島醤油フレーバーの「火鍋の素」かミツカンの「胡麻豆乳鍋」を使っているんだけど、たまには冒険してみるのもいいね。
 我が家では鍋の時は、その晩には締めを食べない。カロリー取り過ぎになってしまうからだ。必ず翌日にもう一度ネギや白菜を入れてちょっと楽しみ、その後に卵とご飯で特製卵おじやを作る。2食に分けて楽しむのだ。

1月13日(日曜日)晴れ

 最近考えていること。音楽で速い動きって何のために行うのだろうか。クラシックにもジャズにもロックにも速弾きというテクニックはある。ピアノだったらリスト、ヴァイオリンだったらパガニーニ、ジャズだったらチャーリーパーカー、ロックだったら90年代以降のヘビーメタルギタリストの大半。彼らは何のために速弾きをするのか。音楽的な理由とうようりも、大道芸人的に聴衆の「目」を楽しませるためのものだ。聴覚的には速弾きが必要な場面というのはそんなに多くはない。百聞は一見にしかずと言う。目に物は見せられるけど、耳に物は聴かせるのは大変なのだ。ちょっとね、いろいろと考えている・・・。

1月14日(月曜日)晴れ

 昨年、ダイナマイトキッドというイギリス人のプロレスラーが病気で亡くなった。それを機会にどうしても見たくなったのが初代タイガーマスクの全試合(それでもテレビ放送された中での一部ではある)。確か3年くらい前に新日本プロレスのレフリーをしていたミスター高橋の暴露本を読んで、エンターテイメントとしてのプロレスの真実を知った。その中でタイガーマスクがあるイギリスのレスラーと戦った際、試合が終わった後にマジギレしたと書いてあった。その場面も無性に見たくなったのだ。そしてその試合、問題のシーンは収録されていた。確かにタイガーマスクがジャーマンスープレックスホールドという難しい技で勝ったのだが、その後に「こんなの俺には全然効いてねえよ」と涼しい顔でスタスタと歩くレス・ソントンというレスラーに対して凄い形相で蹴りを入れ始める。なるほどこのシーンのことか。それにしても初代タイガーマスクは大学生の頃に初めてその動きをテレビで見た時、酒の酔いがいっぺんに冷めたという思い出があり、50代の自分にとっても永遠のアイドルである。

1月15日(火曜日)曇り時々雨

 数日前に友人のiPhoneのFace ID(顔認証システム)が壊れたという知らせを受けて、iPhoneの工場出荷時への復元、それでもダメならアップルサポートに電話、そしてその後にAppleストアのジーニアスバーの予約まで行うだろうなと想定して現地へ出かける。現地でiPhoneのバックアップ。そして復元作業。この時にOSのアップデートがあるということで実行。復元して新しいiPhoneとして設定してみた。すると、なんとFace IDが正常に動作するではないか! これにはびっくりした。絶対にハードウエアのトラブルだろうと思っていたので、まさかソフトウエアの対処で直るとは思っていなかったのだ。でもまだ安心はできない。今度はさっき使っていた状態に復元してみる。これでまたFacd IDが使えなかったらやっぱり修理ということになる。ところが、復元してみると、Face IDが正常に機能した。え?ちょっと狐につままれたような心境。待てよ、これと似たような事があったぞ。何世代か前のiPhoneでコンパスの機能が狂っていた時だ。水平のテーブルにiPhoneを置いてコンパスを起動すると、わずかながら傾いていると表示される。これは絶対にハードウエア上のミスだろうと思ったのだが、アップルはアップデートで改善した。今回も同じようなタイプのトラブルだったのかも知れない。もちろんアップル側としてはFace IDが機能しなくなる不具合を修正しましたとは絶対に言わないと思うけどね。写真のケーキはサポートの途中でごちそうになったもの。旨〜い!

1月16日(水曜日)晴れ

 横綱稀勢の里の引退会見のニュースが1日中流れる。僕は相撲はまったくの素人だけど、この横綱はさすがに気の毒に見える。19年ぶりに日本人横綱誕生とはやし立てて、まだ経験や実力、心構えが整っていないのに重圧をかけ、結局は怪我をしてそれが原因で以前の相撲が取れなくなってしまったのではないか。囲碁の世界で将棋のようなスターが欲しいと焦っていると聞く。どんな世界だってスーパースターが生まれればその業界は注目され、その結果そこを牛耳っている人たちは潤う。でもその思惑に振り回されている若い人はいないだろうか。クラシックギター界なんてほとんど世の中に注目されないまま何年も健全な状態が続いている。地道に、健全にが長持ちの秘訣じゃないかな。

1月17日(木曜日)晴れ

 24年前のこの日、阪神淡路大震災が起きたとラジオ番組で言っていた。そうそう、この震災の時からJpopの歌詞は変わっていったように思う。その後アメリカの同時多発テロ、東北大震災へとつながっていく。大昔だって関東大震災や空襲の悲劇はあったのだが、95年頃からはインターネットで生々しい映像が瞬時に広がるという特徴があるだろう。でも、つらい時には勇気づける歌を作るというのもいいが、お笑い芸人が言っていたように、誰も傷つけない“さりげない笑い”というのもあっていいと思う。

1月18日(金曜日)晴れ

 2018年度秋学期の授業もこの日で最後だ。メディア作品分析もポピュラー音楽史も華麗なるフィニッシュ。ポピュラー音楽史は最後の3週は邦楽の歴史を流す。東京ブギウギからWINKまで。その歴史の旅は1990年、つまり昭和から平成になるところで終わってしまう。これは僕の持論なのだが、平成の30年って音楽の進化という面から見ると失われた30年かも知れない。誤解して欲しくないのだが、若い世代は同世代か少し上の人に憧れる傾向がある。だから、その30年に若者から絶大な人気を得た歌手やバンドはたくさんある。B'zやミスチル、スピッツにGLAY、徳永英明、宇多田ヒカル、そして小室ファミリーなどなど。ただ音楽面で見ると、流れとしては止まっている印象があるのだ。そして現代は止まっているどころか、少し逆流している印象が強い。学生の中にも「私80年代の邦楽が大好きなんです」とか、歌謡曲やビートルズを題材にしてレポートを書いてくることが少なからず見受けられる。はたして、ポピュラー音楽はこれから将来どうなるのだろうか。あ、今度はそれをレポート課題にしてみようかと思う。

1月19日(土曜日)晴れ

 とあるきっかけで知った「ポピュラー音楽と資本主義」という書籍を読んでいる。なんか難しい。音楽史を語る時には同世代の人の昔話を読むように表現が柔らかくなるのだが、資本主義とかマルクス主義の方の話になると、半分チンプンカンブンな所もあり、なかなか堅くなってしまった頭の中に入れるのが大変だ。
 僕も実は同じようなことを考えていた(いる)。クラシック、ジャズ、ポピュラーはバックの社会背景が全然違うのだ。クラシックは中世から近代のヨーロッパ、ジャズは戦争と共に発展していくアメリカ、そして(ロックをむりやり起源として考える)ポピュラーは大戦後の経済発展が背景にある。当然ながらポピュラー音楽は資本主義に呑み込まれる運命だ。わかりやすく言い換えれば、万人が好む音楽を作れば、それを使って金儲けをしたい人が出てきて、音楽を創造する側の人はその奴隷のように似たような作品を提供しつづける運命になる・・・可能性があるということ。