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No.7 本物の聖母の御子はどれだ!

 ギターという楽器は魅力的だが,クラシックのジャンルでは伝統の浅い楽器である。レパートリーとしてはオリジナルの古典の数は,ピアノに比べればそれほど多くなく,様々な名曲がギター用に編曲されている。「聖母の御子」はカタルーニャ地方に伝わる民謡をギターにアレンジしたものがよく演奏される。
 
 ギターショップに行くと簡単に手に入るのはギタルラ社のピースで,リョベートという人が編曲したものだ。ところが,このリョベート編をそのまま演奏している人は少ない。有名どころではジョン・ウイリアムスが楽譜どおりに演奏しているが,多くの人の演奏は明らかにリョベート編とは違っている。特に違うのは4小節目。上の譜例はリョベート編で下の譜例は最近の演奏。

 
 
 

 これは音楽的にはどちらでも間違いではない。けれども印象は相当異なる。下の譜例のほうがドミナントモーションがあるので,胸に迫るものを感じる人が多いだろう。上の譜例のリョベート編だとルネッサンスのような淡泊な印象がある。
7小節目も違う。上の譜例がリョベート編,下の譜例は最近の演奏。これは確かに後者のパターンのほうがベースラインが凝っていて心地よい。

 
 
 

 

 
 次の18小節目も微妙に違う。上の譜例のリョベート編だとサブドミナントから直接トニックへ進行している。下の譜例のように演奏するとサブドミナント→ドミナント→トニックというスムーズな流れになるが,実はこの進行はすぐその2小節後にも出てきてしまうので,ここはドミナントへ行かないほうがお洒落だとも言える。

 
 
 

 その際は次の譜例のように内声部に半音進行を絡ませるのが一般的だ。

 

 
 そして私がもっとも興味のあるのは最後の2小節。上の譜例は多くのCD録音で演奏されている。しかしリョベート編は下の譜例のようになっているのだ。

 
 
 

 最近の演奏では譜例冒頭の和音のファにナチュラルが付くのだ。これはいわゆるマイナーの借用和音で,相当ビックリする。作曲家の友人にも意見を聞いてみたが,曲の大半が一般的な古典的ハーモニーで書かれているのに,最後の最後に一気にモダンな響きになるのはギョっとするらしい。これはカッコ良いとも言えるが,そのすぐ後に同じ様な音型が繰り返される時に,今度はファはシャープで演奏されるので,「あれ?1回目は間違えたのか?」と聞こえてしまう恐れもある。私はいつもこの部分で何かしっくりこないものを感じていた。だから結局この個所はリョベート編の通りにファにシャープを付けて弾くことにしてみた。
 

 
 
 他にも音ではなくリズムだが,終止形の部分で8分音符と4分音符の順番を逆にするほうが一般的なようだ。これはなぜだか分からない。リョベート編のように統一してあったほうが良いとと思うのだが。ギターの楽譜というのは実に様々というか,いい加減というか,演奏者もすぐに誰かの演奏に感化されて「右へならへ」になってしまう。もっときちんと作曲を勉強した人が,数ある編曲譜を見たら,十分に吟味して自分で修正しつつ演奏するのかなとも思うけどね。

(2004年1月13日)