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No.11 感動しない音楽家と本当の聴衆

 私は2005年に入ってから,あるミュージカル映画にのめり込み,その曲をクラシックギター音色の打ち込みで表現していた。そしてその出来上がった作品を匿名掲示板に投げてみたのだ。ギターソロによるアレンジと,それをDTMによる打ち込みで表現したものを第三者がどう受け取るのかを知りたかったというのが動機。自分のホームページで公開しても良いのだが(もちろん著作権料を払わなければならない),なるべく早く一般の人のストレートな反応を知りたかったから。それにまさか自分のホームページのURLを匿名掲示板なんかに自ら貼るほど馬鹿でもないからね。そしてそれは予想に反して大きな賞賛で迎えられた。
 

 
 
 その掲示板に感想を書き込んでいる人たちは,けっして音楽に詳しい人たちではない。だからその賞賛の声を100%真に受けてはいけないだろう。それに彼らは私の創作した音楽に感動するというよりも,聞こえてくるギターソロの打ち込みを通じて映画のワンシーン,ワンシーンを思い出してしまい,相乗効果で泣けているということも考慮しなければならないだろう。もしも映画を見ておらず,曲も知らない人が何の予備知識も無く私の打ち込みを聞いたらどう思うのか。残念ながらそれはまだ実験していない。ただ,今回の試みで分かったことは,ほとんどの人たちは,打ち込みということを知らず,知っていても打ち込みだからと言って音楽の感動が損なわれるとは露とも思っていないらしいことだ。
 
 面白いことに,同じ作品を同業者(アレンジのできるギタリスト)や作曲家などに聞かせると,ほとんど感想は返ってこない。聴き終わっても「だから?」「それでコレがなんなの?」という返事しかない。もし超難曲にアレンジしたものを実際に私が自分の手で生演奏すれば,「よく弾けてんじゃん」くらいの感想は持つかも知れないが,間違っても感動して涙を流すなんてことはなさそうだ。いったいこの温度差は何なのだろう。
 
 音楽の専門家は他人の作曲,アレンジ,演奏なんかには悔しくて感動なんかしないということか。それとも直感的に音楽を聴くということが出来ないくらい,“音学”を学んだために,右脳が麻痺してしまうのか。「音大なんていったら終わりだ。音楽が嫌いになる」と子供の頃に聞いたことがある。分かるような気もする。私は一般の大学の経済学部卒である。生まれつきの絶対音感も無い。だからアレンジした曲を移調して弾くだけでえらく新鮮味を感じるし,自分で作ったデータを聴いて自分で涙することさえある。馬鹿みたいかも知れないけど。
 

 
 
 匿名掲示板で涙を流して私のデータを聴いてくれた人の中には,オーケストラの音を受け付けないという人も少なくないだろうと思う。不思議なことに,特にギターをやっている人は,オーケストラの洗練された音を聴くと,どうも音楽を聴こうとする意識が切り替わってしまう。
 
 私も,今はさほどではないにしても,高校,大学時代はその感覚があった。フルオケの音は高尚すぎて,口(耳)に合わないと決めつけて,身構えてしまうのである。なぜだかは分からない。お高くとまっているように見える(聞こえる)のだろうか。またはいろいろな音色でメロディを鳴らされると全体像がぼかされてしまって,直接心に届かないと感じるのかも知れない。匿名掲示板で感想を書き込んでくれた人の中にはオリジナルよりも私のギターの打ち込みのほうが好きだと言ってくれる人さえいるほどだった。
 
これで確信した。私は自分の所有するクラシックギター「ポール・ジェイコブソン」を精密にサンプリングして作品を世に出すのだと。

(2005年3月31日)